私の生きる意味をフィロソファーという遊びにした
はじめに:人生の目標について
私は、人生をかけて取り組める目標を見つけられずにいます。
「一度はあそこに行きたい」「社長になりたい」といった他者の目標を聞いても、心に響くことはありませんでした。 これらの目標を否定するのではなく、ただ自分自身の価値観とは違うと感じていたからです。
明確な目標を持てない自分への劣等感と違和感を抱えていました。
フィロソファーという遊びを見つける
私がこの「遊び」にたどり着いたのは、以下のような思考の変遷を経たからです。
違和感の発見:
「人生の目標」というものを一般的な成功やお金としたときに、違和感を感じてしまいました。 私は、その違和感の正体を突き止めたいと考えました。
探求の開始:
その違和感の正体を探る中で、私は表面的な価値とは異なる、「美や卓越」といった、もっと本質的だと感じているものを求めていることに気づきました。
「遊び」としての捉え方:
私はこの探求を、心から楽しむための「遊び」として捉え直しました。 人生を楽しむゲームとして、自分で設定するものだと考えたのです。
「フィロソファー」という名付け:
そして、この「遊び」にふさわしい名前を模索しました。
「評論家」や「目利き」では、他者や特定の物事を評価するニュアンスが強く、私の探求の本質を表しきれませんでした。 最終的に、 「知を愛する者(フィロソファー)」 という言葉が、知に対する純粋な愛と探求の姿勢を最もよく表していると確信しました。
これは特定の職業やキャリアではなく、私の人生をかけて楽しむ遊びです。 その内容は、「違和感を探し、美や卓越といった本質を見抜き、それを言語化する」というものです。
そうやって言語化されたものが「知」であり、フィロソファーの語源となります。
遊びのルール
- 目的: 「美しいとは何か?」「卓越した生き方とは?」 といった問いに、自分自身の「知」で向き合うこと
- 手段:観察力、洞察力、そして表現力。これらはすべて、この遊びを極めるための道具
- 対象:日常生活、仕事、人間関係、芸術など、人生のあらゆる側面
- 勝利条件:探求の過程そのものが、私自身の人生を心から満たす
この遊びは、特別な場所で答えを探す必要はありません。 私が美しいと感じた夕焼けや、心揺さぶられた本、誰かとの会話など、日常のあらゆるものが遊びの素材となります。
この遊びがもたらすもの
フィロソファーという遊びを続けることは、私の人生に以下の変化をもたらすことを期待しています。
完璧主義の活用:
完璧な結果を目指すのではなく、完璧な探求を行なうことに喜びを見出します。 これにより、完璧主義は、私を苦しめるものではなく、遊びを極めるための力に変わると思っています。
独自の価値観の確立:
社会的な成功や物質的な豊かさといった既存の価値観に縛られることはありません。 自分自身の「知」によって、人生の豊かさを測る独自の基準を確立させたいと思っています。
持続的な満足感:
この遊びに終わりはありません。 常に新しい発見と感動があり、その活動そのものが私に深い満足感を与え続けると考えています。