はじめに
大阪の技術コミュニティの勉強会を考えるにあたって、「gusuku Ashibinaa Osaka」という場について、語らざるを得ない気持ちになってきました。
私がtestingOsakaを始めたきっかけの場所でもあります。
大阪という街には、熱を帯びる場所がいくつもありますね。
最近だと梅田の再開発で、大阪は全く違った様相に生まれ変わっています。
アールスリーインスティテュートが運営するイベントスペース「gusuku Ashibinaa Osaka(以後、Ashibinaa)」は、単なるイベント会場・物理的な空間を超えた、独自の生命力を放っていると考えます。
Ashibinaaという場所は、ただ人が集まるためだけの箱ではありません。
空間の設計と、そこに関わる人々が美しく交差し、コミュニティという生きた土壌を育んでいると感じています。
本稿では、この空間がなぜこれほどまでに心地よく、私の心を惹きつけるのか。
その構造について、クリストファー・アレグザンダーを参考に、3つの情景から紐解いてみたいと思います。
空間に宿る「生命力」とは:クリストファー・アレグザンダーの視点
Ashibinaaの具体的な魅力に触れる前に、本稿のベースとなる視点について少しだけ補足をします。
ヘルムート・ライトナーによれば、
クリストファー・アレグザンダーは、美しい建築や空間には、まるで生き物のような「生命」が宿っていると提唱しました。
彼は、その生命の中に繰り返し現れる性質として「15の幾何学特性」という概念を体系化しています。
これは「力強いセンター」「境界」「局所的なシンメトリー」「空(オープンスペース)」など、空間が全体として調和し、そこにいる人々に活力を与えるための構造的な特徴をまとめたものです。
(『パタン・セオリー』より筆者要約)
アレグザンダーは、これらの特性がいくつも重なり合うことで、空間は単なる物理的な構造物を超え、人々の営みと深く共鳴する「生き生き(Living)」になると考えました。
この視座を持ってあしびなーという空間を観察したとき、そこにはまさにこの「生命力」を育むいくつもの特性が空間に体現されていることに気づきました。
「力強いセンター」であるやぐら
Ashibinaaに足を踏み入れたとき、最初に目を奪われるのは象徴的な「やぐら」の存在です。
ホームページのヘッダー部分で表示される写真でもあります。
太陽のようにど真ん中にあるあの建物自体美しい装飾で、力強いセンターを彷彿とさせます。
同時に「決して入ってはいけない」と明確に言明される不可侵の領域でもあります。
この明確な境界には、やぐらというメタファーも相まって、ある種の神聖さを感じます。
このとき、空間に強固な「センター」が生まれるのが感じます。
センターがあることで、空間全体に確かな秩序がもたらされるのです。
なぜ、やぐらが不可侵だと秩序が生まれるのでしょうか。
Ashibinaaはまるでおもちゃ箱のような遊び心に満ちた空間でありながら、不可侵のやぐらに対して、日本の古来からの信仰心にも似た何かを無意識に投影しているからかもしれません。
それは厳格なルールというより、自然に生まれる敬意のようなもので、これ以上の言語化は難しいのですが、確かにそこに秩序の感覚を生み出していると感じています。
そして何より重要なのは、この厳格な境界線を、運営のキーパーソンであるどりぃさんの朗らかな人格と献身的な振る舞いが、コミュニティのメンバーへと柔らかく結びつけている点です。
強固なセンターと、それを和らげ繋ぐ人間の優しさ・温もりがあります。
この鮮やかな対比が、大阪のエンジニアたちに深い安心感を与え、空間に力強い生命力を生み出しています。
「局所的なシンメトリー」によるテーブル配置
奥に入り、視線を巡らせると、テーブルの配置にも独特さが感じられます。
局所的なシンメトリーを保ちながら幾何学的な模様を描き絶妙なバランスで配置されています。
この画一的ではない配置は、人々が向かい合う角度を多様にし、参加者同士の間に自然でフレンドリーな関係性を生み出しています。
真正面から対峙するのではなく、少し斜めの角度から言葉を交わすことで、対話はより穏やかで深みのあるものになります。
その角度が心理的な柔らかさを生み、また動きのある配置が多様な座り方を許容することで、参加者は非画一的な身体性を意識せざるを得ません。
その結果、より自然な対話が生まれるのです。
さらに美しいのは、イベントが終わった後の光景です。
参加者同士の対話の熱気を帯び、自由に動かされたテーブルを、再び「美しい元の形に戻す」という行為が行われます。
イベント後、机を元の幾何学的な秩序へと戻す行為は、単なる原状回復ではありません。それは空間が持つ「全体性」を修復し、明日訪れる人々のために再び生命を吹き込む、空間の代謝そのものなのです。
新規参加者を受け入れる「共鳴」のための儀式
空間だけでなく、やぐらとテーブル間で繰り返される人間の出来事もまた、パタンとして場に生命が生まれる重要な要素であるとも考えています。
イベントのはじめには、いつも決まった流れがあります。
「今までAshibinaaに来たことがある人?」という、どりぃさんの問いかけです。
これは、施設案内の手間を省くための業務的な確認の側面があります。
一方で、別の視点も感じています。
それは過去にこの場という共通のコンテキストを共にしていることを確認し、空間全体に「共鳴」を生み出すための、同じプロセスから生まれる大切な儀式なのです。
そして同時に、そこにたった一人でも初めて訪れた新規参加者がいれば、決して置いてけぼりにはしません。
その問いかけを通じて、緊張感を優しく解きほぐし、丁寧にコミュニティの輪の中へと迎え入れるための、美しい、確かな「統合」の営みだと考えています。
相互に強め合う特性と「全体性」の創出
ここまで、「センター」「シンメトリー」といった空間の特性と、人々の「共鳴」の儀式を個別に見てきました。
しかし、アレグザンダーの思想において最も重要なのは、これらの特性が単独で機能するのではなく、 「相互に強め合って一つの全体性(Wholeness)を作る」 という点です。
やぐらという「力強いセンター」が空間に揺るぎない秩序と安心感をもたらすからこそ、その周囲に配置された「局所的なシンメトリー」を持つテーブルでの対話が、より自由で深みのあるものへと発展しています。
空間の物理的な構造が、そこにいる人々の心理的な安全性や行動の質を必然的に高め、促しているのです。
そして、その構造的に守られた安心の空間があるからこそ、新規参加者を迎え入れる「共鳴」の儀式が、表面的な言葉だけでなく、真に人を迎え入れる力を持つのだと考えています。
空間の幾何学的な構造と、そこに集う人々の営み。
これらが切り離されることなく、互いに影響し合いながら一つのエコシステムとして機能しているからこそ、Ashibinaaという空間と大阪の技術コミュニティは、生き生きとした「全体性」を形作っていると感じるのでした。
おわりに
Ashibinaaをただのイベントスペースだと考えていませんか?
違います。
空間の妙と、日々の丁寧な手入れ、そして何より人々の交流を慈しむ気持ちが重なり合うことで、生きた場となっています。
Ashibinaaの全体性、空間の秩序、そして人々を包み込む温かな統合。
アールスリーインスティテュート社と、どりぃさんの献身的な存在があってこそ、大阪の技術コミュニティに命が芽吹いていると感じています。
この場所がこれからも、多くの人々に愛され、新たな出会いと対話の土壌であり続けることを陰ながら応援したいと思うのでした。
参考文献
- ヘルムート・ライトナー(著), 中埜博(翻訳), 懸田剛(翻訳)『パタン・セオリー: クリストファー・アレグザンダーの理論に関する序論と展望』Independently published, 2024年