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尊い場所は奇跡で成り立っていないかもしれない

はじめに

今まで、複数のカンファレンスで「ここは素晴らしい場所だ」という声を耳にしてきました。
熱気を帯びた心地よい空間を、人は時に「奇跡のようだ」と表現することがあります。

確かに、その場所には尊さがあります。
しかし私は、それは単なる偶然の奇跡だけで成り立っているわけではないという見方をしています。

このことについて、少しエッセイとしてまとめてみたいと思います。

尊さは再現可能だ

私がこれまで目にしてきた「尊い場所」は、人々の善意や良識が良い関係性を生み、学びや楽しみ、あるいは思い出として心に残る空間でした。

カンファレンスやイベントでそうした光景が広がる時、私はその場のかけがえのなさを感じると同時に、それを作り上げたスタッフや参加者の存在を強く意識します。
その居心地の良さは、魔法のように突然現れたわけではないと考えます。

そこは特定の知識領域や、地域に紐づくようなゆるい連帯かもしれません。
しかし、強い意図までは持っていなくとも、「好ましい文化や場」が想定され、設計され、形作られています。

私はこれを、「アジャイルだから」「子供たちの集まりだから」「地域コミュニティだから」といった特定の文脈に限らず、さまざまな領域で目の当たりにしてきました。
尊い場所が存在する理由を、特定の集団の性質に求める論をたびたび目にしますが、私はそうは考えていません。

それは特定の人間の性質によるものでも、コントロール不可能な奇跡でもありません。
人々が集まり、つながりを感じ、心地の良い関係性が生まれた時に立ち現れるものです。

つまり、構造として「再現可能」なものなのです。

半径5メートルを尊い空間にする

ではなぜ、私たちは尊い場所を「奇跡」だと感じてしまうのでしょうか。
それはおそらく、今の自分がいる場所や、これまで参加してきた場所が尊くなかったからではないでしょうか。
これには私自身にも心当たりがあります。

私がこのエッセイで伝えたいのは、「心地の良い空間を企画してほしい」ということではありません。
「奇跡」を感じた人自身が、何か大きなことを始めるでもなく、自らの手で尊さを作っていくということが可能だということです。

もし、人の集まりの中で奇跡のような尊さを感じたのならば、思い出してほしいです。
その場所には「あなた自身」が存在していたという事実があります。

あなたが「奇跡だ」と感じたその空間は、部分的にあなた自身が構成し、作り上げていたということです。

関係性という観点で見れば、場を形成するすべての要素は、それぞれに影響しあって全体を形作っています。
そう考えると、すぐに実践できることがあります。

あなたが感じた「尊いもの」を、まずは半径5メートルで実践することです。

あの場で感じた尊さは何に起因していたでしょうか。素晴らしい発表に心動かされたことや、誰かに認められたことかもしれません。
あるいは、知らない人と同じ話題で意気投合できたことや、ただそこにいる人々の幸せそうな顔を眺めたことかもしれません。
その尊さの源泉には、あなた自身のどのような振る舞いや認知があったでしょうか。
それに気づくことができれば、職場や家庭といった日常の中で、自ら関係性に働きかけ、実践していくことができるはずです。

そして、もう一つ伝えたいことがあります。
あなたがすでに存在している世界の中から、同じような尊さを見つけることが可能だということです。

尊いもの、美しいものに触れる経験は、それ自体が尊く美しいことです。
カンファレンスのような「ハレ」の場での熱狂を持ったまま、周囲を見渡してみてほしいと思います。

普段から見慣れていたはずの「ケ」の日常の中に、なんでもないものの中に、尊さや美しさを感じるようになるかもしれません。

あなたの日常の環境が少し冷え切っていたり、関係性が硬直していたりすると感じるかもしれません。
そのときは、実践が難しいと感じることもあります。

そんな時は、現状を完全に否定して諦めるのではなく、その中にあるわずかに機能している部分や調和を探してみてください。
自らの眼差しや反応をわずかに変えるだけで、関係性のシステムのなかにある僅かな兆しに気づき、そして関与することが可能だと考えています。

ハレとケ。
全く別だと思っていたものに共通性を見出した時、そこにある共通のものは、あなたが持ち歩くことができる、再現可能な尊さなのではないでしょうか。

もしかしたら、我々の周りには尊さが溢れているかもしれませんよ。


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