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「居心地の悪さ」や「薄ら寒さ」を大切にする

はじめに

尊い場所は奇跡で成り立っていないかもしれない では、「尊さ」をテーマにエッセイを記載しました。

これを書きながら、この”尊い場所”に対する「居心地の悪さ」や「薄ら寒さ」もまた大切であることを思い出していました。
そして、私自身もそういったことを強く感じることがありますし、そういった感覚が私の今を作っていると考えています。

このエッセイでは、そうした違和感についても考えてみたいと思っています。

熱狂の外にいる人々

人が集まる場所やカンファレンスにおいて、熱狂や尊さが強調され、”善いもの”とされます。
一方で、全員がその善いものを享受していることは少ないと思います。
「なんだか居心地が悪いな」「少し薄寒いな」と感じる人・あるいは瞬間があると思います。

私自身、熱狂や尊さが合意された現実として表出した瞬間、同調圧力や不自然な同質性といった違和感として、背骨を冷たく通っていくことを感じることがあります。
むしろ私はそうした違和感を繊細に感じ取り、不満として表出するタイプです。

そして私は、その違和感から目を逸らすか、あるいは「この場は自分には合わない」と切り捨てて、安全な場所へと離れてしまいます。
そしてその違和感を「場がおかしい」、あるいは「自分には合わなかった」と言語化して、自分の脳みそで処理できる内容に変換していました。

違和感に止まる

最近の私は、あえてその「居心地の悪さ」や「薄寒さ」に留まり、浸ってみることに挑戦しています。

その感情は決して無駄なものではない、非常に重要なサインではないかという直感があるからです。

居心地の悪さの背景にあるのは、単なる一過性の好き嫌いではないのではないか。
そこには「自分自身が心から大切にしているもの」や「自分という人間を構成しているもの」と、その場が持っている性質との間に横たわる「境界線」が、明確に表出している状態なのではないか。と。

この仮説は、関係性やシステムの視点を持つ「プロセスワーク」の考え方を借りると、とても綺麗に説明できると考えています。
今起こっている尊いものへ違和感を感じ、そこから逃避したいと考えている場所、それは不安の言語化だったり、自分の会社だったり、家だったりすると思います。
これは「一次プロセス」と呼べると思います。

一方で、自分の中に芽生えつつある違和感、まだ言語化されていない新しい視点や、その場から少しだけ疎外されているように感じる何か。
これが「二次プロセス」です。

二次プロセスはこの尊い場そのものの場合もありますが、それとはまた別の第三の自分や場所の場合も多いです。

自分が感じている「薄寒さ」や「居心地の悪さ」は、まさにこの一次プロセスと二次プロセスの間にある境界線、つまり「エッジ」に直面していることの現れではないでしょうか。

プロセスワークでは、エッジの前に立つとき、誰しも抵抗や恐怖、そして居心地の悪さを覚えます。

ここで私は、心に余裕がある時は、
あえてその薄寒さにじっと浸り、自分の内側に目を向けてみることにしています。

そのエッジの向こう側、つまり二次プロセスには、必ず何かしらの「願い」があるはずです。

違和感の正体は、自分が現実に投影する、そして自分が生きるに値する場所を捉えるような、切実な願いだと考えています。

願いと違和感の狭間でどう生きるのかを選択する

もし、あなたがその「願い」に気づき、その場において表明することができたならどうなるでしょうか。
それは「批判」や「攻撃」となりえます。

どんな尊い場でも、どんな善意があっても、その場を構成する「尊さ」を揺るがすような振る舞いに対しては、システムの免疫反応として、手痛い反撃が表出することがあります。
そしてそれはとても悲しいことですが、その場や組織で最も好ましい、最も人格者と呼ばれる人が、明確な悪意を持って攻撃してくることもあります。

それは、あなたの心を癒す以上に、あなたの心や、もしかしたらあなたが大切に思っている人々、あなたを大切に思っている人々を不可逆的に破壊する可能性があります。

ここで重要なのは、不満をぶつける「悪意」や「攻撃」としてではなく、ただ「私はこう願っている」ということを自覚し、そのエッジを超えることができるかを選択することです。

そしてそのエッジを超えると決心したのならば、真心と勇気を出して提示することもできます。
あなたは自分自身の内なるエッジを乗り越えることができるかもしれません。

そして同時に、あなたの真心からの表明は、その場に対する貢献につながることもあります。
その場を支配する力学にさざ波を起こし、その空間自体が新しい関係性や2次プロセスへと進化するきっかけになるかもしれません。

居心地の悪さは、あなたと世界を隔てる壁かもしれません。
一方で、あなた自身の輪郭を教えてくれる鏡であり、それが現れた時、新しい世界や関係性が生まれる兆しとも捉えることができます。

居心地の悪さを感じた時、どうか戸惑って逃げ出さず、その輪郭に触れて、楽しんでみてほしいと考えています。
そこにこそ、あなたの大切な願いが静かに鎮座しているのではないでしょうか。


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